昨今のアウトドアブームの中、登山の人気も高まっています。
実際に、山では、年輩の方々に混じって、若い人達の姿を多く見かけるようになりました。人が集まりすぎることで問題がおこることも事実ですが、やはり、魅力があるからこそ、人が集まるのだと思います。
では、なぜ山に登るのですか? そう問われたときに、あなたは、どのように答えるでしょうか。
もちろん、人によって、様々な答えがあるでしょう。どれが正解ということはありません。
私が、どうして山に向かうのかと聞かれたら、きっとそれは、向こう側の景色が見たいから。そう答えるでしょうか。
私は、広がる風景を、きっと見てみたいのだと思います。それは、山頂からの景色であったり、稜線からの眺めであったり。降り注ぐ陽の光であったり、草原を渡る風であったり、澄んだ空気であったり。
そんな、まだ見ぬ景色を、少しでいいから見てみたいと思っています。
向こう側を見るためには、少し高いところへ登らないといけません。でも、頂上を目指さなくてもいい。高いところだから見えるものもあるけれど、低いところだから分かることもある。立つ場所が異なれば、見えるものも異なります。どちらが優れているというものではなく、単に違うということ。どちらも楽しめれば、楽しみは倍増です。
決めつけずに、目的地もルートも、自分で自由に決めて、自分で進む。最初から、可能性を狭めてしまったら、窮屈な感じがしませんか。忙しさを忘れるためにきて、忙しくしていたら、意味がないですから。
新しいところへ向かうのも、いつもの所へ向かうのも自由。同じ場所であっても、決して同じ景色は存在しません。だから、どんな選択肢の中にも、いつも新しい発見があるはずです。
さらに、同じ場所に立ったとしても、そこで見るもの、感じるものは人それぞれ。ならば、画一的な方法論は存在しません。各自の選択は、それぞれが貴重です。だからこそ、たまには傾聴してみませんか。
常に何かを探し求めて向かいながらも、決してそれが何なのかは分からないまま。言葉にはできなくても、心に溜まっていくものを感じながら。そして、思い思いのペースで行けばいい。
それが、山との付き合い方なのではないかと、私はそう思うのです。
了