竜騎士伝説

Dragon Knight Saga

第11章 神々の黄昏 その5

 ダリオットは静かに剣を掲げた。真っ直ぐに黒騎士を見、一気に馬を駆ける。黒騎士ヒュロースも正面から剣を構える。
 光と闇の交錯。
 だが、今や力の差は歴然としていた。
 ゆっくりと、馬上からヒュロースの姿が崩れ落ちていく。
「…これで、ようやく…ゆっくりと…眠れる…」
 そのまま静かに大地に横たわったヒュロースの顔は、驚くほど穏やかであった。

 広場のオークが一掃されるのに、大した時間はかからなかった。
 戦場に吹く風を受け止めながら、カーラは剣の山の神殿を仰ぎ見た。
「あんたたちなら心配ないね。もう、あたしの力なんか簡単に越えてるだろうからさ…」
 そう呟いて、カーラは微笑んだ。
 そして、最後の戦いの舞台は、神殿の中へと移る。


 天空からの光の一つは、神殿の中のミシャにも届いていた。
「…歌の女神…ソーサ…?」
 最初はミシャにも何のことか分からなかった。だが、自分の中にあふれてくる力が、すべてを物語っていた。
 これこそが、知らずとミシャがクレスタから引き継いだものであった。
「今なら…」
 ミシャは、そう言ってリディを睨み付けた。
 自分の中の力を最大限まで高めていく。呪文のつむぎだすハーモニー。
「いけぇーっ!」
 ミシャの手の中から、かつてない規模の雷光がほとばしり、リディに向かって一直線に走った。
「…ふっ、こんなもの…」
 だが、そう言って、リディは片手を突き出しただけだった。
 バシュゥ…
「…そんな…」
 ミシャの渾身の力を込めた一撃も、しかし、リディにはまったくダメージを与えることができないのか。ミシャの顔が落胆に翳る。
 だが、リディはミシャに注意を取られすぎていた。
「…これで逆転ね」
「な、何ぃ…!」
 不意に、クレアがリディの目の前に現れた。移動の呪文である。だが、至近距離で移動の呪文を使うことは非常に危険で高度な制御力が必要なのだ。そのため、そんな使い方をする者などいない。その裏をクレアはかいた。
 だがクレアの使った呪文はそれだけではなかった。
「これが赤い宝石…ね…?」
 クレアは手のひらの先のわずかな空間に、あらかじめ唱えておいた攻撃呪文のエネルギーのすべてを集中した。

「呪文の持つ力というのは、その規模の大きさによるのではないぞ」
「どういうことですか、師匠様?」
 師であるルーンヴァイセムの言葉に、若き日のクレアが尋ねる。
「どんな呪文でも、狭い領域に閉じこめることによって、そのエネルギー密度を上げていけば、無限に近い破壊力を引き出すことができる。大切なのは、いかにして呪文そのものを綿密に制御するのかといいうことなんじゃよ」

 昔の師の教えがクレアの頭の中でリフレインする。
 そしてクレアは、今、二つの呪文を同時に高度制御するという離れ業を成し遂げようとしていた。
 クレアの胸の水の首飾りが、淡い水色の光を放つ。
「くっ…」
 リディの防御は間に合わない。
 至近距離からのクレアの渾身の一撃が、リディの胸に止められた赤いブローチを直撃した。
「…はぐ…っ…」
 リディの体が大きく後ろに弾け飛ぶ。赤い宝石の破片がキラキラと宙に舞った。
「ふぅ…」
 クレアはがくりと膝をついた。
 一つの呪文についてですら難しい高度制御を二つ同時に行ったのだ。クレアにもう余力はなかった。

 ジュヴナントは剣を支えにして立ち上がった。すでにサロアは体勢を整えている。
 その時、ジュヴナントの右手の風の指輪が、かすかな白い光を放った。
「これは…」
『この剣は、光の剣。闇なるものだけを切り裂くことができるものです。心の目を開きなさい。すべてを見るのです』
 ドラゴンとの戦いの時、ジュヴナントの心に響いた声が不意に思い出される。
「そうか…、なら…」
 レキュルを傷つけることなくサロアだけを倒す方法。それをジュヴナントはずっと考えながら戦ってきたのだ。そして、今その答が見えようとしている。
 ジュヴナントはトットを見た。トットはちょうど起き上がったところだった。二人の目が合う。
 ジュヴナントはトットを背にして立ち、胸元で剣を構える。やがて指輪から発した光が剣へと広がり、光の剣全体が柔らかな暖かい光に包まれる。
「たぁーっ!」
 ジュヴナントが、サロアに向かって突っ込む。サロアがわずかに体勢をひいた。その時。ジュヴナントが、ぐんと身をかがめた。
「何ぃ!」
 ジュヴナントの影で死角であった所から、石つぶてが飛んでくる。絶妙のタイミング。トットのパチンコだ。
 反射的に、サロアはその石つぶてを剣で叩き落としていた。そこに、体勢が崩れ、隙が生じる。
「今っ!」
「しまっ…」
 かがんだ状態から、ジュヴナントがすくい上げるように剣を振るう。
 キーン!
 ジュヴナントの剣が、サロアの黒いレイピアを弾き飛ばした。レイピアが宙に踊る。ジュヴナントは、振り上がった剣を両手で持ちなおし、そのまま真っ直ぐに振り下ろした。
 ガシィッ!
 ジュヴナントの光の剣が、サロアの黒いマスクをとらえる。ジュヴナントの剣がサロアの額の上で止まった。
「…がっ…」
 ガラーン…
 マスクが赤い宝石とともに真っ二つに割れ、石の床の上に鈍い音をたてて落ちた。サロアががくりと膝をつき、どうと床の上に倒れる。
 光の剣は闇のものだけを傷つけることができる。サロアの正体であった赤い宝石の付いたマスクは、ここに完全に破壊されたのだ。
 ジュヴナントは、ぐっと足をふんばったまま、キッとグヮモンを睨み付けた。

 ごごごごご…。
 地響きは絶え間なく続いている。
「…何ということだ…」
 グヮモンがチッと舌打ちする。
「…だが、すでに魔界への扉は開いた」
 にやりと笑って、グヮモンは巨大な石の扉に一瞥を投げた。石の扉は、先ほどの隕石の衝突の衝撃で、わずかに闇への口を開いていた。最後に必要だったのは単なる衝撃だけだったのだ。
「…これで、もうそいつらに用はな…」
 そこまで言ったところで、グヮモンはそれ以上言葉を続けることができなかった。
「…残念だったな」
 いつの間にか、ヤンがグヮモンの背後に立っていた。体から白いオーラが立ち上っている。グヮモンは金縛りにあったかのように、身動き一つとれなかった。グヮモンだけではない。ジュヴナントやクレアらもその場から一歩も動けなかった。ヤンの体から立ち上る白いオーラが、皆の動きを封じていた。
『い…いつの間に…?』
 グヮモンの額に冷や汗が浮かぶ。
「たしかにこの扉を開けるには、サロアとリディという二人がそろう必要があった。だが、この中から大魔王を呼び出すにはもう一つの条件が必要なんだよ」
 そこまで話して、ヤンは口をつぐんだ。
「…ジュナ、クレア」
 ジュヴナントとクレアの方へ、寂しそうな目を向ける。
「…おれは、どうしてここに来たのか、なぜこの扉に惹かれたのか、ようやく分かったんだ。いや、すべてを思いだしたと言った方がいいのかもしれない」
 地響きの中、ジュヴナントとクレアは、言葉もなくヤンを見つめていた。
「この扉の中から大魔王を呼び出すもう一つの条件。それがおれなんだよ」
 ジュヴナントとクレアの表情に驚愕の色が広がる。
「おれは自分の役割を果たす。だから。だから、勝ってくれ! チャンスは今しかないんだ。延々と続いてきたこの戦いに、終止符をうってくれ!」
 それは悲壮な覚悟だった。ヤンは、腕の黄金の腕輪に手をやった。それは、ひどく容易に腕から抜けた。これまでどうやっても腕から抜けなかったのが、まるで嘘のように。
 ヤンは、黄金の腕輪を床の上に放った。ガランと音をたてて腕輪が転がる。
「…これで、さよならだ」
 ヤンは、扉の方に振り返ると、動けないグヮモンを引きずるようにして、開きかけた石の扉に向かった。
「おまえにも、付き合ってもらうぜ」
 抵抗もできずに引かれていくグヮモン。その目には初めて恐怖の色が浮かんでいた。闇への口を開けた巨大な石の扉の前にヤンが立つ。
「じゃあな」
 一瞬振り返って、ヤンが笑顔を見せた。
 そして次の瞬間、扉に向き返ると、グヮモンもろとも、扉の中に身をおどらせた。
 目を見開くジュヴナントとクレアには、その光景がまるでスローモーションのように映った。
「ヤーン!!」
 だがもう、ジュヴナントの叫びも届かない。
 ただ、地響きだけが続いていた。

 突然、神殿の中に光が満ちあふれた。
 ミシャは、まぶしくて思わず目をそむけた。
 光は、ジュヴナントとクレア、それに床に倒れているサロア、いやレキュルから発せられていた。
「…これは…」
 頭を押さえながら、レキュルが立ち上がる。
「レキュル」
 思わずジュヴナントが叫んだ。その時。
 巨大な石の扉が、ギィーッときしみながらゆっくりと開いていった。
 扉の向こうは暗黒の闇だった。重苦しく、息が詰まりそうな闇だった。
 ジュヴナントらは、その闇の向こうに何かがいるのを感じていた。圧倒的な力。恐怖。そういったものすべてをまとった、何かが…。
 とても、勝ち目がある相手ではない。本能的に、ジュヴナントたちはそう悟っていた。
 ヤンに勝ってくれと言われたものの、その手だてすら思いつかない。
 大魔王…。
 背中を冷たい汗が流れ落ちる。
 その時、床の上の大地の腕輪、クレアの胸の水の首飾り、レキュルの懐の火の宝珠、ジュヴナントの右手の風の指輪、それらが一斉にまばゆい光を放った。黄金、蒼、紅、純白の光が混じり合い、渦を巻いて広がる。
「諦めることはありません」
 不意に、後ろで声がした。驚いて振り返るジュヴナントたちの前に、まぶしいばかりの白銀のオーラに包まれたルシアの姿があった。
「ルシア…? いや、あなたは…」
「私は、精霊神。あなた方は、まだ本当の力を秘めています」
 ルシアの言葉に、腕輪、首飾り、宝珠、指輪の光が、お互いに共鳴するかのようにして強まっていく。
 ルシアの中には神と悪魔がいる。茫然と、ジュヴナントは、ドラゴンのそんな言葉を思い出していた。
 光彩陸離。光の織りなすハーモニー。
 そしてついに神々が地に降りたつ!
 ジュヴナント・クルスに、クメリア=デ=アリエトゥーム=スサ=レイクアム - 創造の神レイクアム。
 レキュル・アーカスに、デイカ=デ=アリエトゥーム=スサ=エンゲンツァ - 破壊の神エンゲンツァ。
 クレア・フェリスに、プラスタ=デ=アリエトゥーム=スサ=ウェルト - 維持の神ウェルト。
 そう。テントルフォン=デ=アリエトゥーメ。第二の神々…。
 神々の降臨。
「ヤン、お前の意志は無駄にしない…」
 この闇を呼んだのは、他ならぬヤンであった。闇を呼ぶために生まれた運命と宿命。この闇を倒すことができるのは、世界の始まりから続いてきたこの戦いに終止符をうてるのは、今しかないとヤンは確信したのだ。
「そして、精霊神…。いえ、…イーウェ様」
 ルシアに背を向けたまま、ジュヴナントが呟いた。
 フア=トリカ=ナシトルフォン=デ=アリエトゥーム=スサ=イーウェ。唯一絶対の始祖の神イーウェ。
 やがて、石の扉が完全に開いた。
 その中から姿を現したのは、完全な闇だった。決まった形すらとらない、力の集合体。
「…ザルカターク!」
 暗黒の破壊者。ジュヴナントが叫ぶ。
 遥か太古に神々によって魔界に封じられし者。
 ここに、いにしえの神々の戦いが再現されようとしていた。

「行こう」
 茫然としているトットの肩に手をかけて、ミシャがそう言った。
「ここは、もう、私たちのいる場所じゃない」
 トットが何か言う前に、ミシャは呪文を唱え終わっていた。


 剣の山が揺れていた。
 カーラやダリオットたちは、不安げにじっと剣の山の様子を眺めていた。
 そこに、ミシャがトットとともに不意に姿を現した。わずかに残っていた力を使いはたし、がくりと膝をつくミシャ。トットがミシャに心配そうな顔を向けた、その時だった。
 ドーン!!
 激しい爆発音とともに、突然、剣の山の山頂が火を吹いた。黒煙が上がり、紅の溶岩がパッと輝く。山が大きく揺れた。
「まずい! 急いでここから立ち去るよ!」
 カーラが、そう叫んで呪文を唱えた。彼女には、全員を運ぶだけの力があった。
 トットの目に、剣の山の激しい真っ赤な炎が映った。その瞬間、まわりの景色が急速に歪んでいった。

- 第11章おわり -